臼井式レイキの創始者である臼井甕男氏は、日本伝統式レイキの真の活用法は癒しではなく人生の質を向上させることにある、と最初に提言しました。
レイキ法の最終到達地は、『安心立命の境地』であると。
我々が日常生活を通じてレイキと響きあった時、その本質・霊性を自ら光り輝かせ、人生の質を高め、真の自己に出会う事ができます。
そのためのメソッドが、臼井式レイキ法だったのです。
臼井氏はなぜ、精神向上に重点を置いたのか?
西洋式レイキがポピュラーになって日本国内に逆輸入された事もあり、レイキをエネルギー・ヒーリングだと認識しておられるかたも非常に多いものです。
が、もともとの日本伝統式レイキには「生き方を変えるための教義・五戒」も存在し、精神向上の重要性を強く打ち出しています。
なぜならレイキ・エネルギーの働きがストレス等によって十分に機能しなくなると、様々な不調和が発生するためです。
身体面では、骨格の歪みや筋肉の緊張が生まれ、免疫系、自立神経系、ホルモン系などの機能が低下します。
これは当然心・感情面にも悪影響を及ぼし、内面を不調和なエネルギーで満たすことになってしまいます。
また怒りや心配、不安や恐れなどの感情に支配された時、不調和な想念や言動が生じるのです。
その結果、人間関係にまで不調和の波紋が広がり、円滑で心地よい社会生活を営むことが難しくなるからです。
だからこそ、生命エネルギー(レイキ)をいかにバランスよく取り入れ、精神面を穏やかに整えていくかという事が、心身健康にとってとても大切になってくるのだと、臼井氏は考えたのです。
臼井氏は、こんな言葉を残しています。
けれども人が宇宙から使命(役割)を与えられ生かされている存在であるとするなら、宇宙が人の病気や不幸を望むはずがない。
また安心立命の境地も、宇宙レイキと体内レイキの究極の共鳴状態に他ならない。
「両者を繋ぐものは気と光であり、それがレイキだと言われている。」について。
レイキとは、臼井氏が創った言葉ではなく、古くからある日本語です。
日本では、大宇宙と小宇宙を繋ぐものの正体がレイキだと思われていたようです。
究極の、安心立命に至る道
いきなり一足飛びに、安心立命の境地にたどり着く人は居ないはずです。
人は大きく分けて、3つのステージに居ます。そして、現在地点から次のステージへと移行し、最終的に『安心立命の境地』に至るのです。
まず最初のステージは、ストレスや不快を感じた時、原因を自分の外側(環境、誰か、社会システム、政治など)に探し、それらを変える事で解決しようと試みるステージです。
(このステージでは、自分の思うとおりの結果にならなかった時、不平不満を感じたり、自分自身の力ではどうにもならないのだと打ちひしがれ、諦めます。)
次のステージは、『いい事も悪い事も自分の気持ちの問題なのだから、全ては自分の生きざまから発しているのだ』と気づいているステージです。
(この事を理解し、受け入れた人から順に、自らの自己責任に気付きます。)
つまり、『今の自分』は自分次第でより一層幸せに出来るのだ、ここで諦める必要はない、と気付いた時に、自分の人生を自由にプロデュースしたり、方向転換が出来るのですね。
生きざまによって発生させた不調和は、自らの意志によって変えられます。
たとえ今が苦しい人生であっても、今はまだ幸せを感じられなくても、生きざまを修正する事で、根本からの解決が可能となるステージです。
最後のステージは、宇宙の波と同調するステージです。
自らがやるべき事をやり尽くした後、最後は自力を手放し宇宙のエネルギーに身を任せ、『宇宙の流れと結果を信頼しよう』という選択をするステージです。
これが最後の、そして究極の、安心立命に至る道です。
この順路を移行しつつ自らを高める近道があるとすれば、レイキの実践(及び自己鍛錬)であると、臼井氏は提唱しました。
やがて実践を積み、この最終ステージで宇宙の波と完全に波動共鳴した時には、たちどころに『今の自分』がエネルギッシュに輝きだすようになります。
そして、その積み重ねの先の『未来』も変わるのです。
大いなるもの・レイキの恩恵を存分に実感した途端に、よろこび溢れる素晴しい人生を今以上に満喫する境地が訪れるのです。
悟りとは?
ブッダは、「悟りとは、苦しみの終わりである」と説きました。
外側にある災害やひどい状況の事ではなく、これは内側の苦しみの終わりの話です。
ところで、人類誕生から38億年が経つと言われていますね。
その間、一度も命が途切る事なく綿々と続いてきた結果、今ここにあなたがいるのです。
ではなぜ、あなたは あなたのご先祖達からの生命を受継ぎ、今日、ここに居るのでしょうか?
このような考えを巡らせると、そこにはご先祖達のある目的があったように思えてならないのです。
その目的とは、『自己実現』『自己完成』です。
宇宙の流れとひびき合い、完全に調和する事で得られる境地です。
それこそが、苦しみからの脱出なのです。